おもちくわ帝国

おもち閣下とちくわ閣下の日々を綴ります

任天堂と私

今週のお題「ゲーム大好き」

 たまには、はてなブログのお題でもやってみるよ。このブログのカテゴリをご覧いただければわかるだろうけれども、私はゲームが好きだ。一応、猫ブログであるけれども、好きなものを少々ねじ込んでいる。

 色々話題はあるけれど、ここは私と任天堂という観点で書こうかと思う。

 初めて触った任天堂ハードはファミリーコンピュータだった。新しいもの好きな叔父さんの家にあったのだ。ソフトはマリオブラザーズがあった気がする。そしてしばらくしたら、スーパーマリオブラザーズも。

 我が家には父のMSXがあったので、ファミコンはなかなか買われなかった。でもある日赤と白の筐体のファミコンが来た。テレビはまだ手回しのやつだったし、ファミコンとテレビの接続は今あるような端子じゃなくて、電線を巻きつけるようなやつだった気がする。

 しばらくしてファミコンが壊れて、テレビを買い換えて、家に来たのはツインファミコンだった。私のファミコンの記憶の大半はツインファミコンと共にある。

 いろんなソフトで遊んだ。同じものを何度も繰り返し、おなじところでめげたりした。

 そんな中で今でも引きずっているのは、星のカービィ 夢の泉の物語だろう。ファミコン最後期の名作だ。

 音楽も敵の能力をコピーするシステムも大好きだった。ジャンプ操作が下手な私には、フワフワ浮かべるのはとてもとても嬉しかった。

 少し大きくなって、それを開発したのが桜井さんという人だと知る。そしてその会社がHAL研究所という会社であることも。

 ゲームを作る人という観点で追いかけ始めたの、何が最初だったかは忘れてしまったけど、その割と初期に桜井さんの名前を覚えた。任天堂ハードを所持していない時期でも、名前が聞こえたら、最近は何してるのかな?と思うくらいには。

 そんな桜井さんのインタビューに、岩田さんはちらちら出てきた気がする。たぶん。とにかく、私が岩田さんを認識したのは桜井さんを通してだった。

 ファミコンのあと、久しぶりに手にした任天堂ハードは、ニンテンドーDSだった。ニンテンドッグスがやりたかったからの気もするけど、良く覚えていない。

 それくらいの頃に岩田さんを岩田さんとして追いかける切っ掛けになったのは、「社長が訊く」だったと思う。だから、だいぶ後だ。もしかしたら、ほぼ日の記事はそれ以前に読んでいたかもしれないけど。

 社長が訊くを読んで思ったのは、開発の良き理解者なのだなぁということ。実際はどうなのかはわからないけれど、ちゃんと推せるものを世に出そうとする気持ちを感じた。

 元開発現場にいた人らしいおちゃめな発言にも好感を持ってた。


 なんかうまくまとまんないや。

 任天堂はソニーにはないものがあると思っているし、そこもうまく続けて欲しいと思った。うちの母がニンテンドーDS買ってたしね。

 だから、岩田さんが亡くなった後でもブレずに、ガンガン進めるところは進んで欲しいなぁと。いちゲームファンとして思うのでした。

 ああ、残念だ……ほんとに。

 岩田社長のご冥福をお祈りします。

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